TRPGとは「テーブルトーク・ロール・プレイング・ゲーム」の略である。
サークルのメンバー一人づつTRPGとは何なのかと語ってもらう

日常で固まった心を動かし解す事の出来る遊び。
怒り哀しみ、そして笑う。
空想から創造された世界の中で共に生きる事の出来た仲間の間には、好い空気の流れがあり心地良い。
私の中のTRPGは心が止まってしまわない為の運動であり、心地良い空気を創る為のモノだと思う。

TRPGとはあらゆる可能性を持つ素晴らしい遊びである。
本来、様々な現象を表現し体験する為のコミュニケーションゲームと私は考える。
多くのプロと呼ばれる作家、クリエイタ―が一言では表現出来ないモノとして捉えている事もうなずける。
人の数だけ遊び方があるのもTRPGの大きな特長ではある。
小説 『宝島』やローリング女史の『ハリ―・ポッター』などはとてもTRPG的な物語の書き方をしている。
それらの作品がどの様に書かれているのか理解出来る人には説明は不要なのだが、一言で言うならば大切な誰かの為に書かれている事に気が付くはずだ。
TRPGとは人間を学ぶ膨大な学問とも私は考える。
人によって感じ方が違うものだと思うからである。

コンシューマーゲームでのRPGにはコミュニケーションという部分がなく、全てがプログラムである以上、選択支が限られている。
TRPGにはそれが無いと私は思う。
プレイする人の感性、想像力次第で色々な可能性がある。
さらに一人ではないということも重要だろうと思う。
コミュニケーションを取ることにより生まれ出るものもあるから・・・
そうした楽しみ、喜びをみなで分かち合うのがTRPGというゲームではないだろうか?

私にとってTRPGとは『はてしない物語』。
言葉そのままの意味でもあり、エンデの小説でもあります。
エンデの書いた『はてしない物語』では、本に描かれた物語が大好きな少年バスチアンが「はてしない物語」という本を読んで行く事で、物語の中の少年・勇者アトレーユとの冒険を「ページのこちら側」から体験して行きます。その、バスチアンの気持ちを想像すると、ワクワクして来ませんか?
その時、バスチアンの中でアトレーユは「友達」であり「もう一人の自分」であったのではないかと私は考えています。
やがて、ただ本に書かれた物語を追って行くだけだったバスチアンは自らの物語を作り上げていくワケですが…。
この物語をTRPGに置き換えると、バスチアンはプレイヤーでアトレーユはプレイヤーキャラクターと言う事になりませんでしょうか?
つまり、TRPGとは「バスチアンとアトレーユ」の様に『はてしない物語』を自分で作り体験する事が出来る素敵なゲームだと私は思います。
このゲームこそが『はてしない物語』。

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