サークルメンバー松崎の主催サークル三代目トワイライトシーカーズ〜ラストレジスタンスで会計として財布を預かっていた男、センスの光るロールプレイと間の取り方が彼の魅力

自分が物語の主人公になって自由に物語を創る遊び!
TPRGをやったことある人は「シナリオはマスターが創るのでは?」と考える人も居ると思いますが少なくとも私はシナリオは補助的な存在。
何故ならば必ずしもプレイヤーがその通りに動いてくれないからである。
プレイヤーの数だけ考え方があるのだから。
後、ルールにこだわる人も居ると思いますが、ルールも補助的な道具であり時と場合により変える事も出来る。
ルールに縛られずに楽しくプレイしていけばいいんじゃないっすか(笑)
ルールやダイスの目よりトークで楽しもうぜ!
折角のTRPGなんだから人との会話のないゲームはただのRPGだ!
行こうぜ!トークの向こう側へ!

TRPG….人が持つ創造性と独創性のコラボレーションそれは、同時に1つのテーブルを囲んで紡ぎ出す美しい協奏曲、GMと数人のPLAYER達との融合性を導き出す至高(思考)GAMEではないかと思う。
….だが、最近(実際は昔もそうだが特に目立つ)のコンベンションを見ていると非常に嘆かわしい光景を良く目に付くことがある。
それは、自己満足な優越感と数値至上主義の傲慢(俺TUEEEEEEEPLAY1本の導き出した物語以外認めない(合理的理論的意見も耳を貸さない)ストーリーテーラー、自分が窮地に追いやられ自分の思い通りにならないと露骨に捻くれる者。
あまりにも度が過ぎている場面に何度も遭遇したことがある。
果たして本当にそれでいいのだろうか?

例えば、時としてよく聴くのだがシナリオはGMが準備するものと思っている方もいるが GMはあくまでも進行をスムーズに行い監視しシナリオの骨組みを作り出し、PLAYER(そしてGM自身)に魅力的で情熱的な話の導き手である。それを肉付けしていくのはPLAYERの楽しみでもあり役割でもある。そう、シナリオとはGMと卓を囲むPLAYER達とが育む生き物でありそれを生かすも殺すもそのGMPLAYERの腕の見せ所ではないのだろうか?そうやってシナリオは素晴らしい物語へと生まれ変わり記憶に残るものだと私は思う。
TRPGとは、我々1人1人が導き出す奇跡の産物ではないだろうか
しかし、悲しきことにその術を触れることすらなく不幸にもその片鱗すらも知らずにいる者もいる
果たして、自己満足な優越感と数値至上主義の傲慢(俺TUEEEEEEEPLAYは許されるのか?
人にはそれぞれ違った個性があり、それをうまく生かし時には助け行くもの、キャラクターもその道を極端に外れることではないと思う。
完璧な超人を選びどうするのか
(楽しいのか)
英雄(勇者、超人など)の能力的素質はあるかもしれないが英雄とはそれだけでは到底達し得ないものなのだが・・・

果たして、1本の導き出した物語以外認めない(合理的理論的意見も耳を貸さない)ストーリーテーラーは許されるのか?
道はひとつじゃないのだから色々な選択肢もあれば、それだけ物語も生まれる。その可能性すらも否定することが果たして出来るだろうか?
果たして、自分が窮地に追いやられ自分の思い通りにならないと露骨に捻くれる者は許されるのか?
人生は思い道理に運ばないから面白い、わかりきった未来に何を期待できるのか?そうやって不貞腐れるよりも先に希望(光を)を導き出せるように何か考えるのができないだろうか?幾選もの考えを持つことができるのは素晴らしいことでありまた、それを実行することができる、それこそがTRPGの持つ他のGAMEにはない許された特権ではないだろうか?
私は願う本当の意味でのTRPGとは何かということを
それは、このGAMEを作り出した偉大なる古き先輩たちの意思であり願いであるのだから・・・
最後に、これはあくまでも私の個人的意見でありほんの片鱗でしかない。これが総てではなくTRPGの持つ魅力とはもっと壮大で深淵のさらに奥深いものだと常々そう感じる日々である。

私はこの、偉大なるGAMEを導き出した古き先輩たちに感謝を伝えたい

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